デビュー40周年、昭和の歌姫中森明菜の闇

昭和の歌姫として君臨した中森明菜。

マッチ金屏風事件以降活動は停滞、2017年にディナーショーを開催するが、現在は年会費6000円のファンクラブで細々と活動するのみ。

母や妹など親族の急逝も話題になっている。

中森家の闇
明菜母58歳で死亡
明菜の姉の娘12歳で白血病で死去
明菜の妹ヌードになり52歳で死亡
明菜自殺未遂

中森明菜激白雑誌「マルコポーロ」1995年1月号

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「家族へ愛想が尽きたこと」

家族のために17歳で働き始めた。

87年9月・「大明華ビル」開店
(1Fには、父親、長姉夫婦、次兄夫婦のそれぞれ経営する飲食店。

2・3Fは賃貸居)
88年5月・父親のお店だけが営業する事態に。

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五年前の、あの騒動のときも、家族は私の気持ちなんて、結局、何にも分かってくれなかった。

事務所のいうことは信じても、私を信じてはくれなかったんです。

家族って他人じゃないから余計に困るんですよね。

たとえば恋愛なら、たかが・・・って自分に言い聞かせられるじゃないですか。

相手はしょせん他人なんだから、仕様がないじゃない、そう割り切れるでしょう。

でも、血が繋がっていると、どんなにわかってくれなくても、捨てようと思っても捨てられないんですよね。

昔、長女の姉とか、次男とか、父親にお店を出してあげたんです。

でも自分が苦労して出したお店じゃないから、すぐ潰しちゃう。

頑張らなんですよ。

その後も四年も五年も仕事しないし、何かちょっとやっても、すぐにやめちゃう。

そんなのを見ていると、私が歌手になったのが間違ってたんじゃないのか、そう思えたりして・・・。

そんな一方で、家族は私に内緒で事務所から毎月お金をもらったりしていた。

変な話だけど、事務所と家族はどんどん絆が強くなってゆくのに、私と家族の気持ちは離れてゆく一方だったんです。

・・・(中略)・・。

五年前の騒動のときは、自分が今まで生きてきたのは一体何だったのだろう?
そんな絶望感でいっぱいで・・・。

会社に対しても、家族に対しても、とにかく人間が誰も彼も信用できなくなったんです。

私が一生懸命にやってきたのは一体何だったのか?ってそう思ったときには、もう、正直、恋愛どころじゃなかったです。

近藤さんには対しては、騒動に巻き込んで大変な迷惑をかけて申し訳ないことをした、そんな思いだけでした。

だから、数ヶ月後に彼 とはお別れしました。

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近藤真彦との破局を乗り越え、ドラマなどに出演、歌手活動も続けていたが頓挫。

デビュー40周年の2021年。

復活は遠いのだろうか。

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